小池都知事が追悼文を取りやめた理由は?本当に”個人の決定”なのか


 

小池百合子都知事が、毎年慣例となっている”追悼文”を今年は取りやめにするということで話題となっていますね。

 

なぜ今年に限って取りやめなんでしょうか。

その理由について探っていきたいと思います。

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小池都知事が追悼文を取りやめた理由は?

「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」に都知事として追悼文を送ることがこれまで”慣例”となってきたそうなんです。

ですが、今年、2017年は小池百合子都知事はこれを取りやめました。

そのことによって各方面にざわめきが起こっているようです。

 

どうして今年は追悼文を送ることを取りやめたのでしょうか?

 

小池百合子都知事はこう語っています。

「これまでも都知事として関東大震災で犠牲となられた全ての方々への追悼の意を表し、全ての方々への慰霊を行なってきた」

「今回は全ての方々への法要を行いたいという意味から、特別な形での追悼文提出を控えた」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/26/yuriko-koike-great-kanto-earthquake-of-1923_a_23186257/より引用)

 

小池百合子都知事の公式の発表を簡単に言うと、関東大震災で亡くなったすべての人を悼むが、(朝鮮人の方など)特定のグループのみを対象として何かをすることはしないということです。

でも、今回の決定にはさらに背景があるようです。

 

今年の3月に行われた都議会一般質問において、ある自民党議員からの質問が重要なカギとなっているらしいのです。

 

それは、自民党の古賀俊昭都議なんですが、意訳すると彼はこのように都知事に問うています。

 

■横網町公園にある「朝鮮人犠牲者追悼碑」には、朝鮮人が「6000余名」犠牲になったと書かれているんだけれども、そもそもこの数字はどこから来たのか?

■根拠のない数字を出されて、「こんなことをした日本人が悪い」と言われたんじゃたまったものではない。

■こういう根拠のない事柄に対して、追悼式のたびに「都知事として」毎年追悼文を送っているけど、これはいかがなものか?

■場合によってはこの行為(追悼文を送る)は歴史をゆがめる行為になるのではないか?

■なので、追悼文を送ることはちょっと考えてはもらえないか

 

ということです。

 

古賀俊昭都議の質問が、今回の決定の決め手なんでしょうか。

果たして都知事個人の決定か?

小池百合子都知事は、今回の追悼文の取りやめは個人で決めたと述べていますが、別サイドから見ると、そうではないとの意見もあります。

 

毎日新聞の報道によれば、ある都幹部の言葉として、「このことは庁内で以前から問題となっていて、特定の式典にいちいち都知事として追悼文を出すのはいかがなものかと議論されていた」と書かれていました。

 

本当のところは関係者でなければわかりませんが、個人的には〝都幹部”の言葉はどこまでが信ぴょう性があるのか分かりませんし、なんだか”あとだしジャンケン”のようにも見えます。

 

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追悼文取りやめに対する反応

今回の追悼文取りやめに対する反応はどのようなものでしょうか。

 

賛否両論が当然ありますが、個人的な印象としては今回の決定に否定的な意見が多いような気がします。

 

賛成派としては、「平等に扱うのはいいことだ」という視点で、反対派は「災害の犠牲者と一緒にするな!」「歴史を直視しろ!」という感じでしょうか。

 

多くの方の感情が複雑に絡み合った問題なので、一筋縄では解決しないでしょう。

まとめ

関東大震災から90もの年月が経とうとしてるんですね。

当時を体験された方は、そのほとんどがお亡くなりになっています。

 

混乱のさなかの出来事ですから、正確な資料を見出すことは簡単ではないかもしれません。

 

デマが独り歩きして、朝鮮人の方が追い込められ、あわやという時に、自ら井戸の水を飲んで民衆を納得させたという話を最近知りました。

 

そうした混乱のさなかでも、冷静な判断を失わなかった方がおられたんですね!

 

やはり、正確な情報から真実を見る冷静さが求められますね。

 

※最後までご覧いただきありがとうございます!

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