親友でクラスメイトでもあった末次君。彼が図工で作った作品がなんとコンクールで賞を取ったことがあるんですよ!
末次君、あだ名は「オスー」。末次だからオスー。♂で男だからという意味じゃないよw
オスーと私はクラスで隣同士の席だった。なので賞を取った作品の工程すべてをこの目でずっと見ていた訳ですよ。
この記事は、「なんかよく分からない作品だな、ダセー」と思っていたオスーの作品が賞を取っていたのでショックだった訳ですよ、というお話です。
木板で魚の飾りを作るという課題だった
小学校5年生の時、図工の課題で、はごいたくらいの大きさの板を加工、装飾して魚を作って飾りにしましょうと言うのがありました。
私はカジキマグロをイメージして板を糸ノコでカットし、黄緑色でペイントして終了。うろこも一般的な魚のそれ。今から思えば何の変哲もないデザインだが当時の自分はとても気に入っていた。
一方、オスーが選んだ魚は「シーラカンス」。「生きている化石」として当時テレビでもしばしば取り上げられていたので、当時の小学生は恐らく誰でも知っていたと思います。
シーラカンス格好良すぎ…#沼津港深海水族館#シーラカンス pic.twitter.com/uTIDxZHXFM
— ゴジ郎 (@11re_souzou_9) August 23, 2020
見た目あまりおもしろくもない。しかも彼は胴体のうろこのデザインを独創的なものにしていた。(あとから思えばその部分が既成概念にとらわれていないということで高評価を得たのではないかと思う。)
全体に茶色でシックな雰囲気、ヒレのデザイン、そして先ほども言及した胴体のうろこ。小学生らしからぬ斬新なデザインだったので、審査員の目に留まらないはずはない。今ならわかる。でも当時の私はそれを理解できず、「こんな魚いねーよ!」と心の中で思っていた。
オスーが賞を取ったという突然の発表
図工の課題が完成してしばらくたったある日、担任の木下先生が唐突に「この前の図工の魚の作品で、末次君がコンクールで賞を取りました~パチパチパチ」と発表したのです。
私はそれを複雑な気持ちで聞いていました。
親友が学校外のコンクールで賞を取ったというのは素直にうれしい。でもね、私から見たらあんな訳の分からないデザインの作品がどうして賞を取れるのか?
納得がいかなかった。それを踏まえて改めて自分の作品を見てみた。確かにいいデザインだ。だけど固定概念にガチガチに縛られ何のひねりもない。よって面白みもないしすぐに飽きる。自分でそう感じた。
オスーの柔軟な発想と比較し、自分のなんと石頭なことか。嘆かわしい。
もう一つ、納得いかないことがあった。
先生いつの間にオスーの作品をコンクールに出したのさ?ていうかそんなことみんなには一言も言ってないじゃん。最初から「いい作品はコンクールに出すよ!」と言ってくれればこちらも気合を入れて頑張るのに・・・
この時に限らず、みんなには伏せておいてあとから先生の判断でいいと思うものをコンクールに出すことがしばしばあったのです。
自分の知らないところでそういうのが進んでいることに納得いきませんでした。図工にせよ作文にせよ先生の独断と偏見で作品を選びいつのまにか終わっている。
フェアじゃないなと感じました。入賞した子は記念品として色鉛筆や画用紙といった文房具セットをみんなの前でもらっていました。それもまた嫉妬を抱きやすくなります。
子供心に思いました。学校を代表して一人か数名選んでコンクールに出さなきゃいけないのは分かる。だけどさ、それって平等じゃないよね。それにみんなも欲しい訳よ、文房具セット。大したものじゃないのは分かるけど、でも欲しい!
小学生ってそんなもんでしょw
せめてさ、入賞記念というならその子だけにそっと渡せばいいじゃない。先生としては「みんなも頑張ればこんな記念品がもらえるんだぞ!」と発破をかけるつもりだったのかもしれないよ。でもそれって逆効果だと思うな、少なくとも私の場合は。
まとめ
ということで、オスーは賞を取った訳ですが私との仲が変わることはありませんでした。席がとなりでしたがただ単にそれだけでなく息がぴったり合う友達でした。
体育の時間などで二人一組で二人三脚などをやる場合には必ずと言っていいほどオスーと組みましたし、呼吸が合うのでスピードもダントツ!二人三脚では多くの子がつまづくのに、私とオスーのペアは猛烈な速さで駆け抜けましたw
いま思ったんですが、いくら早くても二人三脚ってそれほど評価される競技ではないですね^^;「プロの二人三脚プレーヤー」なんていないじゃないですか。
私とオスーがこれだけ仲がいいと、きっと放課後もお互いの家で遊んだんだろうなーと思うじゃないですか?ですが学校以外の場所でオスーと遊んだことは一度もありませんでしたし、中学になってからも会ったことはないです。別の中学ということもありますが。
どうしてそうなのかというと、それは私の家庭の宗教的な事情が関係していたからなんです。それについてはまた後日書きたいと思います。
➡コチラの記事に書きました。ご覧くださいまし!
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