竹内太一(土佐料理-司-社長)の経歴は?年収はどれくらいか

竹内太一(土佐料理-司-社長)の経歴は?年収はどれくらいか?

東京で大人気の土佐料理を提供するお店「祢保希(ねぼけ)」。新宿や丸の内など合計5店舗ありますが、その大元である「土佐料理 司(つかさ)」を経営する代表取締役社長が竹内太一さんです。

テレビ東京の「カンブリア宮殿」でも取り上げられますが、竹内太一さんはどのような経歴をお持ちなのでしょうか。そして年収も気になりますね!

では、土佐料理 司の社長である竹内太一さんの経歴や年収について調べてみましょう。

竹内太一の経歴

竹内太一さんの経歴について。

  • 名前:竹内 太一(たけうち たいち)
  • 生年月日:1953年8月18日生まれ(65歳)
  • 出身:高知県高知市 
  • 大学:明治大学卒業
  • 家族:3人兄弟の長男(姉と妹)

がくれきに関しては、「高知市内の小中学校・高校」とだけしか情報がありませんでした。恐らく土佐中学校・高校ではないかと思われます。

もともと竹内太一さんの祖父は大正6年から割烹を経営しておりましたが、父親はそのお店とは関係のない中華料理店を経営していました。

竹内太一さんが大学に進学するのと同時に家族で東京に進出し、赤坂に「祢保希(ねぼけ)」第一号店をオープンします。

もしかするとこのお店は竹内太一さんの祖父の割烹料理の流れを受け継いだお店だったのかも知れません。

どうしてかというと、竹内太一さんは「三代目」と言われているからです。ということは父親が「二代目」だったということではないでしょうか。

ですが、大学に進学した当初は竹内太一さんはそのお店を継ぐ気はなく、外資系の会社で働くことを目標にしていました。

ところがそうはいかなかったようです。大学卒業間近、母親から「家業を継いでほしい」と要請されます。会社が人手不足だったからです。

その頃すでに竹内太一さんは目標通り外資系の大手コンピューター会社に就職が内定していました。ですが、それをやめて家業を継ぐことにしたんです。

傍から見るともったいないという気もしますが、竹内太一さん自身それほど外資系企業で働きたいと思っていなかったのでそこはあっさりしたものだったのかもしれません。

竹内太一さんが入社した時は入調理見習いから始め、1年半後に新宿の2店舗目の店長を任されます。

入社二年目で店長だなんて羨ましい、跡取りだから恵まれてるねなんて思いがちですが、ご本人はそんな呑気には構えていられなかったようです。

なんせコンピューター会社に就職しようとしていた人がいきなり飲食店、それも割烹料理系ですよ?普通なら何年も修行してようやくという世界でわずか2年目で店長ですよ、責任重大だと思います。

案の定というか、店長として任された2店舗目は不安定な状況に陥ったそうですが、魚の仕入れ方を改善することにより業績を回復その間休まず懸命に働いたそうです。

そのような苦労を経て1966年に三代目社長に就任します。この時年商が40億円に対して借金が35億!

どっと肩に重い荷がかかってきた訳ですが、バブル期のツケを徐々に解消した結果、現在では国内に12店舗を構える人気のお店となりました。

竹内太一の年収はどれくらい?

では、苦労を重ねながら大成功してきた竹内太一さんの年収はどれくらなのでしょうか。

個人情報なので詳しいことは分かりません。会社の規模で言えば「株式会社 土佐料理 司」の資本金は3000万円です。従業員数330人、正社員は110人。店舗は12店。

推測ではおよそ1000万円から3000万円くらいの年収ではないかと思われます。売り上げが多くても役員報酬を減らし、その分社員に還元しているという会社もありますから全体を見てみなければ一概には言えませんね。

まとめ

3人兄弟の長男であるにもかかわらず「後を継げ!」と最初から矯正していないところがまずすごいと思いました。

竹内太一さんのお父さま自身、祖父の割烹料理ではなく敢えて中華料理をしていたという点からして、やりたいことをやらせるというスタンスだったのかもしれません。

後を継いでほしいという要請もお母様からという点からしてもそう感じます。

竹内太一さんご本人もコンピューター会社に就職しようとしていた矢先の急展開でさぞ苦労なさったのではと思いますね。

でも、もともと飲食業に関心があったということとと、さほど外資系で働くことに執着がなかったということであっさりと進路変更された訳です。

きっとお父さまが楽しそうに仕事をされている姿を観てきたのではないでしょうか。

お店のさらなる発展をお祈りします。

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