リビングハウス社長の北村甲介さんが5月12日放送の「カンブリア宮殿」で取り上げられます。大手家具メーカーの多くが倒産の危機にさらされているリビングハウスはこの10年でなんと売り上げを3倍に伸ばしたチェーン店です。北村甲介社長はその3代目。元奥様はなんとあの有名な女優さんの妹さんでモデルでもあられます。
この記事では、北村甲介さんの
- 経歴
- 再婚した妻
という点を中心に書いていきます。不況が続く中で売り上げを伸ばす秘訣が気になりますよね。ではさっそく見ていきましょう。
北村甲介のプロフィール
まずは北村甲介さんのプロフィールから見ていきましょう。
- 生年月日:1977年6月22日(44歳)
- 出身地:大阪市
- 大学:慶應義塾大学商学部卒業
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大学卒業後はアパレル系のベンチャー企業に就職されますが、26歳の時リビングハウスに入社します。そして34歳で代表取締役社長に就任します。冒頭でも触れましたが売り上げは3倍、社長就任時には14億円だった売り上げを42億円まで伸ばします。
北村甲介さんがなぜそのような成功を収めたのか、その考え方や体験が気になるところですがそれはこの記事の後半で取り上げることにして、北村甲介さんの以前の奥さんに焦点を向けたいと思います。モデルさんということですが馴れ初めなど気になりますよね。
再婚した妻は女優の高岡早紀の妹
北村甲介さんはモデルである高岡由美子さんと2011年に結婚し、2014年に離婚されています。高岡由美子さんは女優である高岡早紀さんの妹さんです。お二人のツーショットはコチラ
高岡早紀が妹・高岡由美子との「ツーショット」を公開 – http://t.co/YJEYXCbOgD #ニュース pic.twitter.com/F0qAskEFRv
— daillynews.info (@_dlns1) December 1, 2014
高岡由美子さんは20代の頃からモデルを始めますが、2000年11月に当時の鹿島アントラーズの本田泰人選手と結婚2002年にはお二人の間に女の子が誕生しますがその後2009年に離婚。
北村甲介さんとは授かり婚で2011年6月に婚約、同年12月に入籍し女の子を出産。2014年に離婚、二人のお子さんの親権は高岡由美子さんが持っておられます。
離婚の原因の真相はお二人にしか分かりませんが、生活リズムがお互い合わなかったことや金銭的な問題が原因ではないかと言われています。お二人は結婚当初大阪と東京にそれぞれ拠点を構えて活動しておられました。それを改善すべく同居生活へと移行するものの、長い別居生活で生活パターンが異なる二人には負担が大きかったと考えられます。
金銭面から言えば、結婚後もお互いの生活費はそれぞれが負担、お子さんの養育費に関しても北村甲介さんは結婚前から”子供の費用は払えないから”ということで高岡由美子さんが娘さんの教育や習い事などの費用を負担していたと自身のブログで明らかにしています。
元夫である本田泰人さんと夫婦でバラエティ番組に出演した時に、”高岡由美子さんのクレジットカードの請求が月に200万円もある”などなどビックリ発言が連発していたんですが、もしかしたらそれを真に受けて「じゃあ生活費は別々にしようよ」となったのかもしれません。
後日談としてバラエティ番組で高岡由美子さんが前述のようなビックリ発言を繰り返したのは、引退後の夫がテレビで売れるようにするため敢えて鬼嫁を演出していたそうです。
演出で語ったことであるにもかかわらずそれが発端で離婚につながったとしたら悲しいですが、お互い納得できる人生を送れるための前向きな決断であったと願います。
3代目社長の経歴
では話を戻しましょう。北村甲介さんの大学卒業後の経歴をざっと見ていくと
- アパレル系ベンチャー企業に就職
- 1年後退職
- 海外の家具取扱店で配送ドライバーを1年半
- 26歳でリビングハウスに就職
- 34歳で社長
となっています。当初家業を継ぐことは全く考えていなかったし先代社長であるお父さんも何も言わなかったそうです。ちなみに北村家はおじいちゃんが家具職人でその流れで2代目である父がリビングハウスの社長でした。
アパレル系ベンチャーに就職した理由は3つあって、
- 多角経営で魅力的
- 会社の歯車にはなりたくない
- スーツを着たくない
という理由だったそうです。どころが就職先を1年で退職。その先の予定はなかったそうでそこで初めて家業を継ぐことを考えた。本人曰く”軽い気持ちで”そう考え父親に打診しますが、継ぐと言っても何の知識も経験もないというとでまずは取引のあった外国の家具を扱っている会社に配送ドライバーとして入ります。
経営を目指している人がなぜトラックの配送を?なんて思いますよね。ところがこれが非常に貴重な体験となったそうです。家具を配送するということはすなわちお客さんの家を直接見ることができるということ。家具を買った人がどんな環境に住んでいてどんなコーディネイトをしているのかをタダで学ぶことができる!これほど素晴らしい機会はないと思ったそうです。
視点が普通の人とはかなり違いますね。普通であれば、会社の後を継ぐ自分がなんでこんな泥臭い仕事をやらなきゃいけないんだよと腐ってもおかしくないと思います。与えられた仕事はもしかしたら自分が望んだポジションではないかも知れない。でも視点を変えるとそこは学びの宝庫だった。
単なるドライバーではなく、もし自分が社長だったらどうするだろうかという視点を持つことによって、お店では決して知ることができない情報を吸収することができました。都市部だけでなく地方にも行くことで地域の人々の考え方の差なども理解することができ、それが結果として新しい事業にも反映されるという好循環が生まれます。
周りの人の見方に振り回されない
若くして3代目社長に就任した北村甲介さん、周囲のプレッシャーなどは感じなかったのでしょうか。世間一般では3代目社長はどちらかというとあまりいい見方ではなく、ドンと業績を伸ばすか激しく落ち込ませるのどちらかだろうとも言われています。そういう色眼鏡で見られると重圧を感じる方も多いと思いますが、北村甲介さんはあまり気にしないようです。
他人の見方、考え方は考えられないのでそういうものに神経をすり減らすのは無駄でしかない。売り上げに関しても、消費者が買い物を控える時期というのがありますがそこを憂いても仕方がない、そういう流れだから。それよりもどうやったらその中でも売り上げを伸ばせるかにエネルギーを注いだ方が生産的であると考えておられるようです。
2代目社長である父も代替わりの際に、「経営理念以外はなんでも変えてよい」と言われていたそうです。自分が守ってきた仕事のやり方を押し付けるのではなく若い世代にマッチした新しい風を商売に取り入れて成長してほしいという願いもお持ちだったようです。会社の後を継ぐことも全く強制して来なかったという点を考えても、北村甲介さんのお父さまも柔軟性のある考え方なんだと感じました。
まとめ
北村甲介さんは慶応大学商学部出身、アパレル系ベンチャー企業に就職後、外国の家具を扱う会社でトラックドライバーとして修業を積んだ後に26歳でリビングハウスに入社、34歳で3代目社長。
元奥様は女優の高岡早紀さんの妹でモデルの高岡由美子さん。
不況の中でも売り上げを伸ばし続けるリビングハウス。経営者である北村甲介さんの柔軟な姿勢から学べるところは大きいですね!